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2ゴールで松田に応えた吉田

 34歳という若さでこの世を去った松田直樹。
 ご冥福を、心からお祈り申し上げます。


 プロ生活のほとんどを横浜F・マリノスで過ごし、2011年8月4日、今季移籍したJFLの松本山雅FCで選手生活を終えた。


 移籍が決まったとき、中村俊輔は松田に対して「(JFLの松本山雅を)J2に上げるために行くの?」と問いかけた。すると松田は「バカ。J1だよ」と答えたらしい。


 トルシエジャパンのときもジーコジャパンのときも、松田は監督と意見が衝突し、遠征先から無断で帰国することが度々あった。サッカー選手として、決して模範的とはいえない行動だが、真っすぐな男。曲げられない男。


 彼の生き方は、『かわす』という戦術を知らない。


 1995年、高卒ルーキーとしてJリーグ入りした松田が、頂点に立つスター選手である三浦和良を激しく削るシーンは、本当に印象的だった。今どきの日本で、こんな不器用な選手がこれから果たして何人現れるのかと思うと、本当にさみしくなる。


 彼が亡くなった後、Jリーグはすべてのスタジアムで黙祷が捧げられた。


 僕は、浦和vs神戸(埼玉スタジアム)にいた。


 松田と同じ生年月日(1977年3月14日)の吉田孝行(現神戸、元横浜F・マリノス)が2ゴールを挙げ、神戸が3-2で浦和を下した。以下は吉田が試合後にミックスゾーンで語ったコメントだ。


「(ゴールを決めたときに喪章と共に指を3本かかげたのは?)マツの背番号3です。自分にとっては親友だった。試合前から絶対に点を取ろうと思っていました。(ゴールは)勝手に体が動いてくれた。やったぞマツ、ありがとうって、そういう気持ちでした。試合は相手が勝ってもおかしくなかった。相手は中盤にいい選手がいて、ドリブルで入ってきたり大変だったけど、よく粘った。この勝利は本当にでかいです」


「(松田が倒れてから……)最初の2日間はいろいろなことを考えて、チームにも迷惑をかけてしまいました。その後で会いに行って、その途中で亡くなってしまったけど、顔が見れたし、あいさつもできたし、逆にあいつにがんばれって言われてるような気がして……。次の日から笑顔で練習することができました」


「電話も何回かしていたし、この16年間、シーズンオフに会わなかったことは一度もなかったです。あいつの情熱、あきらめない力がヴィッセルに宿ったんだと思う」


「(松田から松本山雅へ移籍すると話があったとき) “お前も神戸をクビになったら、松本山雅に絶対来いよ”と言われました。やりがいがあるぞ、と」


 浦和vs神戸戦後のミックスゾーンで、吉田の話を聞こうとする記者は多く、少し長めのコメント取りになった。


 吉田はその間、涙を見せるわけでもなく、目が泳ぐわけでもなく、気負うこともなく、肩に力が入るわけでもなく、自然体だった。その状態までメンタルを持っていくことができたからこそ、吉田は松田の情熱に応えて2ゴールを挙げることができたのだろう。


※続きは、「しみマガ」にて※
この一件から我々が学ぶべきことについて、一般的なJリーガーの生活習慣と照らし合わせながら僕が考えていることを書きました。まだ気持ちの整理が追いついていない方には、今は避けて、落ち着いてからお読み頂ければ幸いです。
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清水英斗

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