ホリエモン改め堀江容疑者! 話題に事欠かないなぁ。面白すぎ。
事件後のしゃべりを見ていると、まったく罪の意識は無さそう。
「え?違法だったの?知らねーよ」って声が聞こえてきそうです。
でも、俺に言わせれば節税と脱税は同じこと。
「脱税じゃねーよ。これは節税だよ。」
関係ない。違法とか合法とかそんなこと関係ない。思想は同じだから。
うまくズルして儲けようという、安っぽい魂胆が嫌いだ。
株主が犠牲になったって報道されるけど、それも自己責任だしね。社員だって同じ。痛みは甘んじて受けなきゃいけない。
でもこの状況は最悪に見えるけど、むしろ社員は豊満な外資ファンドに買収された方が幸せなんじゃないかな。ライブドアに釣られて下がった今の株価だって、俺にゃ株のバーゲンセールにしか見えないよ。
ピンチはチャンスの始まりとは良く言ったもんです。
さて、そんなビッグニュースの影でW杯に関するニュースで気になるものがあります。ちなみにW杯といってもサッカーではなく、ゴルフ・野球のほうです。
結果はあえなく惨敗に終わった、宮里藍・横峰さくら組。ある筋では、2人に対する批判が相次いでいるようです。要約するとこんな感じでしょうか。
「日本を代表して出場しておきながら、負けてへらへら笑ってるとは何事だ! 特に宮里は準備不足で、2日前に現地に入るなんて。W杯をなめたらアカン!」
実は俺も中継を見てて、少し違和感を感じた。ずいぶんサッカーのW杯とは雰囲気が違うなと思った。ゴルフというスポーツの特性を考慮に入れても、もう少し悲壮感のようなものがあるはずなのではと思った。宮里の準備不足にしても、やむを得ない事情があるのならば辞退を申し入れるのもひとつの選択肢だっただろう。
ただ、それをすべて彼女らのせいにするのは間違っている。事実、彼女らを取り巻く環境(開催時期の悪さなど)が、ワールドカップに対する優先度を低くしてしまうものなら、彼女らを責めることはできない。
そして野球のワールドカップ「WBC」。
選手の出場辞退が相次ぐのは、何も日本だけの問題じゃない。メジャーリーグ機構はもっとシビアだった。ヤンキースは未だに開催そのものに反対しているし、他のチームも選手の出場に消極的だ。
さらに決定的なのが、出場投手の球数制限が設けられたことだ。1次リーグでは65球、2次リーグでは80球、準決勝と決勝では95球、ピッチャーはこの制限に従わなければならない。
なんと愚かなルールだろうか。オープン戦やオールスターじゃあるまいし、世界一を決める大会の割にはまるでシーズン前の練習試合のような様相を呈している。
メディアや選手の間では、辞退を表明した松井らに対するバッシングが日に日に強くなっているが、彼ら選手だけを責めるのは間違っている。
今年、野球のワールドカップは第一回。ゴルフは第二回だ。
心情的には一回目だからこそ、理想のワールドカップを望むかもしれない。だがそれは無理な話だ。それはこれまで長く続いているメジャーリーグやプロ野球の歴史を、鶴の一声で動かそうとすることに等しいからだ。彼らに言わせれば、「なぜ今年初めて行われるような新参大会に、我々が譲歩しなければならないのだ」という感じだろう。
ではなぜ、サッカーではワールドカップを掲げることの重みを、協会・クラブ・選手・メディア・サポーターが理解しているのか。
答えはひとつ。歴史だ。
最初は小さな大会でも、みんなが一つになってそれを盛り上げていくことで、そこに価値が生まれていく。ドラマが積み重なっていくのだ。
だからこそ、誰もが優勝に憧れるようになる。
選手も真剣勝負にのぞみたくなるのだ。
最初から規模の大きい大会を望むことはない。必ずしもビッグスター選手が出場する必要はない。球数制限をしなければ出られないような選手は、出さない方がいい。
「とりあえずビッグスター選手が出場していればワールドカップなのか?」 答えは断じて否。世界の頂点を目指す大会に、ベストを尽くさない選手が出場することはあり得ないのだ。
あまり無理を重ねて開催にこぎつけると、後で良くない事態を招くような気がしてならない。不健康な急成長が一時的なものに過ぎないことは、ホリエモンが証明したはずだ。
規模やネームバリューよりも、思想の尊さを選ぶべき。
それが後世に残るワールドカップを作る方法だと俺は思う。


