サウジアラビア戦に負けてから、オシムが取り組んでいる「日本人らしいサッカー」には疑問符がつくようになった。
自分たちの信じるサッカーを実践したのに、サウジアラビアにはその弱点を突かれて負けた。このショックは大きい。
選手選考に問題があるんじゃないか?
交代が遅いんじゃないか?
ボールを回してもシュートを打たなきゃ勝てないじゃないか?
もっと個人技が必要なんじゃないか?
そもそもこのサッカーでは世界を相手に戦えないんじゃないか?
オシムという人物、基本方針には賛同しつつも、
彼が指揮しているサッカーにはさまざまな不満が出てきた。
負けた途端に手のひらを返しているような気もするけど、
それも無理からぬ話。
「日本人らしいサッカーの模索」という仕事は、そう簡単には成し遂げられない難業なのだから。
選手の側からも、迷いは出始めている。
「走ってボールを回しながら攻めても、一発でボールを奪われてカウンターを食らったりするとガックリくることがある」(加地)
彼に限らず、こういった部分的な迷いが出ている選手は他にもいる。
「負ける」という結果にはそれだけの重みがあるのだ。
ちょっと話は変わるけど、
僕がオランダでユースチームの取材をしていたとき、ほとんどのユースでは、「3−4−3」システムを採用していた。
全員が攻めて全員が守る、創造性を生かしたサッカー。いわゆるオランダ伝統の「トータルフットボール」を極めようとする練習内容が多かった。
なぜ、彼らはそこにこだわるのか?
答えは簡単。
そのサッカーが、結果を残したサッカーだからだ。
1974年ワールドカップ、オランダ代表はトータルフットボールという画期的かつ魅力的なサッカーを展開した。決勝で西ドイツには敗れたものの準優勝に輝き、大会MVPにはヨハン・クライフが選ばれた。
その歓喜・記憶はやがて伝統となり、オランダサッカーのスタンダードとして今も君臨している。
同じことはイタリアにもいえる。
あれだけ守り偏重のサッカーが、世界中から批判されながらも、なぜイタリアのスタンダードとして受け入れられているのか。
それは、「このスタイルで世界を制することができる」ということを、イタリア人は経験的に知っているからだ。
結果はあくまで結果に過ぎない。
しかし、結果を残してこそ得られるものがある。
「日本人らしいサッカー」を模索するのは、まさにそういう作業になる。
どんなに美しく戦っても、どんなにオシムがすばらしいことを言っても、
最終的に結果を出さなくては、そのサッカーが日本のスタンダードとして受け入れられることはない。
だからこそ今回のように、たった1回の敗戦でチームの足元が揺れてしまう事態になる。
『結果を残したサッカーのみが、その国のスタンダードになれる』
オシムは、その事実を良く理解していると思う。
西部謙司さんもいっていたけど、今回のオシムが優勝という結果をノドから手が出るほど望んでいたのは間違いない。
「3連覇なんて約束はできない」
「私は日本が負けることを望んでいる」
「結果よりも内容を見てほしい」
口ではそう言いながらも、実際の試合では完全に戦闘モード。
選手交代もガチガチ。
今回のアジアカップで優勝し、その先にあるコンフェデレーションズカップでも準優勝以上の好成績を残す。そんな最高のシナリオも、オシムの頭にはあったはずだ。
そうすれば2010年ワールドカップに向けて、「日本人らしいサッカー」の揺るぎない自信を構築することができる。
サウジアラビア戦でも、失点された途端にボール回しをやめて、縦にボールを蹴り出す選手が何人かいた。それは焦りというよりも、自分たちのサッカーに対する確信の無さが招いているものだと思う。
そのためにも結果は欲しかったところだが……出なかったものはしょうがない。
だから正直、今日の韓国戦はちょっと心配。
「6試合経験できて良かった」なんて浮かれてる場合じゃないと思う。
もしここで2連敗するようなことがあれば……日本は本当に不必要な経験を背負ってしまうことになる。



