さて、世間のオシムブームに乗って僕も記事を書いてみたいのだが、あいにくドイツに住んでいるためオシムジャパンの試合は1試合も見ていない。主に情報を集めているのはブンデスリーガ・チャンピオンズリーグ・欧州選手権予選などで、日本代表についてはせいぜいインターネットで試合結果をチェックするくらいである。
が、そんな環境にある僕にも「オシム」という響きは飛びこんできた。その言葉を発した人物は、ドイツでものすごくお世話になっているブンデスリーガB級コーチライセンスを保持するK氏だった。K氏はドイツ3部リーグでのプロ選手経験もあり、現在はFSVというクラブチームで将来プロを目指すU-19世代の指導にあたっている。
その彼が言った。
「オシムの指導法がめちゃめちゃ勉強になった」
彼はオシムの指導法を記録したDVDを見てこの感想を漏らしたのだが、もちろん彼はすでに自分のメニューに「考えさせる頭の疲れる練習」を積極的に取り入れており、我々とは勉強のレベルが違うことは言うまでもない。頭の疲れる練習について、彼はより具体的なアイディアをオシムから得たのだろう。
しかし考えてみれば、これはものすごいことではないだろうか。
コーチ・監督という職業は、自分の所属するチームが勝てるように最善を尽くす仕事である。つまり指導の対象は、目の前にいる選手たちに他ならない。オシムにとってはそれが日本代表にあたる。
これだけ遠く離れたドイツにまで、オシムから影響を受けた人間がいることを考えれば、日本中にオシムに感銘を受けている数多くの選手・コーチが存在することは想像に難しくない。そして当然彼らはオシムが日本代表に注入しようとしている「考えながら走るサッカー」の理念を、自らの指導に生かそうとするに違いない。
つまり、
『オシムは間接的に日本サッカー全体のコーチをしている』ことになる。
良い作物を栽培するには、良い畑が必須である。彼は「日本サッカー環境」という畑にも栄養を与えているのだ。
どんなに優れた監督が完璧な指導を行っても、2010年でしか勝てない代表を作ることは、サッカー後進国である日本にとって必ずしもプラスとは言えない。長期的な成長こそが、いずれ強豪国と呼ばれるために必要なことである。
我々は目先の試合結果のみに目を奪われず、オシムが語るアイディアをしっかりと心に留めておく必要があるのではないだろうか。
また、彼はジャーナリストに対しても手厳しい対応をしているようだ。「40年間、日本のスポーツジャーナリストは一切成長していない」と言い切ったり、愚鈍な質問をバッサリ切り捨てる一方で、会見を延長してでもマスコミにアイディアを語り尽くそうとする彼の真摯な姿は、本当にサッカーに対して真っすぐに向き合っている清々しいものに感じられる。
…と言っている側から、僕が確認した多くのメディアではその肝心な部分が軽視され、結果や印象コメントのみが取り上げられてしまう非常事態に、僕は何ともひどい脱力感を背負ってしまうのだが。
以前、K氏が語っていた言葉が思い起こされる。
「ドイツに指導を学びたいと言ってくる日本人たちは、トレーニングの方法や手順のみを学ぼうとしている。だがドイツ人の場合は違う。なぜこのトレーニングなのか、という基礎理念を学ぼうとする。そして実際のトレーニング方法は自分のチームに合わせてアレンジしていくんだよ。」
安易に物事を進めようとする日本人に多い「こなし主義」。
なぜその練習をしているのかを理解しないでトレーニングすることは、まさに「こなしている」だけに過ぎない。
そうした行為が後々につながらない、実力アップにも効果が薄いということは何もサッカーに限った話ではない。理念という礎があってこそ、はじめて方法論というステップに進むことが出来る。非常に耳の痛い言葉だ。
オシムが2010年W杯で勝てる日本代表を作れるかどうかは小さな問題だ。
それよりも僕たちは、『日本サッカー間接教師』である彼の理念にしっかりと耳を傾け、数十年後の日本が強豪と呼ばれるように選手だけでなく我々も考えていく必要があるのではないだろうか。
重要なのはどんな練習をしているかではない。
「なぜ」その練習をするのか、「どうやって」効果を産み出すのか。
それをしっかり注目していきたいと思う。
日本人が潜在的に抱える性格を浮き彫りにしてしまうサッカーというスポーツの面白さ。改めて感慨深いものがあった。
#K氏のブログ「サッカー世界基準」をSpecial Thanksにリンクしました。


