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こんなに嬉しいことはない

最近、人に撮られたり見られたりすることが増えた。


その度に思うこと。


俺は大根役者かつ不細工かつアホな男だ。


しょーもないグルメリポーターのようなことすら出来やしない。


なんでヤツらは自分のテンションがコントロールできるのか、不思議で仕方ない。


不細工な上に不器用じゃ救いようがねぇよ。


でもそんな俺でも相方が好きと言ってくれれば、俺もそれでいいや。


背伸びするくらいなら、相方が好きなままの俺でいたい。


好きなことを好きなだけやって、
将来なんて野垂れ死にしてもいいと、昔は思ってた。


でも今はちげー。


相方のためにも俺はもっともっとがんばらなきゃなんねぇ。


死んでたまるか。これから何十年も一緒にいてぇよ。
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俺が一番楽しみな試合

今日の15時(日本時間で22時)から、


トーゴvsスイスの試合があります。


俺が今一番楽しみにしている試合です。


理由はここを読んでください。
http://plaza.rakuten.co.jp/ger11/


そしてもし俺と同じ思いになったなら、トーゴを応援してあげてください。

知りたいのはソコじゃない

「まもなく、フランクフルトに到着します。乗り換えは…9番ホームに…22分発、ベルリン行きが…です。」


俺がドイツ語の車内放送で聞き取れるのはこの程度。
最近ようやく電車が遅れるアナウンスも分かるようになったけど、数字系を早口で言われるとテンパイ。乗り換え情報がうまく聞き取れないんだよね。


しかし今はW杯期間中。
ドイツ語アナウンスの後に、英語アナウンスも流れるのだ。
助かった~と思って聞くと、内容はこんな感じ。


「Thank you for riding DB(ドイツ鉄道). Good Bye!!!」


・・・。
この英語アナウンス、必要なんすか?


もっと乗り換え情報とか乗り換え情報とか乗り換え情報とか…。






さて、ご存知の方もいるかと思いますが、
俺はトーゴ代表をおっかけてきました。


ついに昨日は、ガードの堅かった選手たちの単独取材にも成功。
その詳細もスターサッカーHPでアップします。アップし続けます。


右の執筆リンクの「W杯特派員コラム(トーゴ追っかけ)」から行けるので、ぜひ読んでみてください。泣けます。こんなW杯もあるんだと知ってください。


トーゴ代表を取材していた日本人ジャーナリストは俺一人。
今までたくさんいた韓国メディアも、韓国戦が終わったあとは一人もいなくなりましたとさ。


ついに、ONLYアジアンを果たした俺です。

嵐のような毎日の中

相方とスカイプすると、本当に元気が沸いてきます。
原稿のヒントももらっちゃいました。


やるべきことはいっぱいあるんだけど、
この時間だけは大切にしたい。

濃すぎ

W杯が始まったからというものの、
毎日が濃くなりすぎて大変です。


次から次へと伝えたいことが出てきて、
もともと器用に平行作業することが苦手な俺には、けっこう大変な毎日です。


W杯前の平均睡眠時間:8時間
W杯始まってからの平均睡眠時間:3時間

1行日記Ⅱ

日々、固く硬く堅く結ばれていくのを感じる。

1行日記

自分の小ささを教えてくれる人って、本当に大切だなぁ・・・。

【ドイツW杯航海日誌 vol.6】 俺にとって「サッカーとは?」

サッカー選手の名前を覚えるのなんてめんどくさい。
サッカーは見るよりプレーするもんだろ。見てて何が楽しいの?
サポーターって、なんで応援なんかしてるんだろう。
サッカーの経済効果? そんなの興味ないよ。


以前の俺はそんな感じだった。
自分がプレーするピッチ以外にまるっきり興味がなかった。
でも今はちょっと違う。
サッカーという競技が見せる奥深さと可能性の中で、
「自分も何か出来ないだろうか、人に影響を与え動かすことは出来ないだろうか」 という気持ちがフツフツと湧いている。
下のイベント運営に関わったのは、まさにそんな人間ばかりだった。


P1070021.jpg



ストリートサッカーW杯とは?


7/1~7/8、ちょうどドイツW杯決勝トーナメントの真っ最中、ベルリンの東地区クロイツベルクにて「ストリートサッカーW杯」が行われた。
(この取材レポートはStarSoccer9月号にて書かせて頂いたので、よろしければご参照の程を。…ってもうバックナンバーしかないでしょうけど)


ストリートサッカーというと、貧しい子供が路上に出て、裸足でボールを蹴りあっているような姿が目に浮かび、ロナウジーニョもそういう環境で育ったのかなと連想させる。そう、ちょうど下の写真のような感じだ。


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しかし、ここでの「ストリートサッカー」はもう少し広義である。
道具やコートがないから、仕方なく路上でプレーするというイメージをまずは取り払っていただきたい。
そして、この写真を見て欲しい。


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これは、ストリートサッカーW杯参加チームのひとつ、
「和平と平和を訴える、イスラエル・パレスチナ混合チーム」の試合前の様子である。いつ何が起きてもおかしくない緊張、終わりの見えない紛争が続いている両国。そんな状況を思えば、その2つの国旗をたばねて振りかざしていることがどんな大きな意味を持つか、容易に想像がつくだろう。


彼らは普段はイスラエルにあるスポーツクラブで練習を共にしており、紛れもないイスラエル・パレスチナの現地混合チームである。昨年にはFCバルセロナとサッカーの練習試合を行い、イスラエルとパレスチナに和平の未来があることを全世界に示すことに成功した。


ええっ?これがストリートサッカー? と思った方もいるかもしれないが、これが現代のストリートサッカーなのである。
「ストリートサッカー=貧しい、裸足」といったイメージは昔のもので、今は「ストリートサッカー=世界最高のコミュニケーション法」として捉えられているのである。


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そもそもストリートサッカープロジェクトが立ち上がったきっかけは、誰もが記憶に残っている1994年、アメリカW杯の事件だった。コロンビア代表のエスコバルは、グループリーグ戦でオウンゴールのミスを犯し、その結果コロンビアはW杯から姿を消してしまった。それに腹を立てた人間が、なんとエスコバルをレストランに押し入って射殺してしまったのである。当時、エスコバルの体には10発以上の弾痕が残っていたという。


「なんでサッカーで人が死ななきゃいけないんだ・・・。」
1994年当時、そう思ったのは俺だけじゃなかった。
その痛ましい事件の起きたコロンビアの大学が発起人となり、「暴力に対抗する手段としてのサッカー」、さらには世界中のあらゆる紛争を解決する手段としてのサッカーを広めていった。上記のイスラエル・パレスチナ混合チームもその一つである。


また俺は大会中、コードサイドでアナウンサーを務めていた人物と会うことが出来た。彼はナイジェリアチームを率いる代表でもあった。しかし選手たちにビザが発給されずチームの出場を断念した彼は、ナイジェリアがこの大会に参加できなかったことを本当に残念がっていた。


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「今、ナイジェリア国内ではエイズが猛威をふるっている。政府でさえもどれだけ患者がいるかも全く把握できていない。予防策を指示することも出来ずに、人が死んでいくのを見ていることしかできないんだ。」


そして彼は続ける。
「そんな状況で、ナイジェリアが何かに期待できるのは、サッカーしかないんだ。スタジアムではハーフタイム中にエイズの知識を教えるキャンペーンをしている。サッカーチームでも技術を教えると共に、エイズに対する教育も行っているんだ。これは世界中で人々に愛されているスポーツ、サッカーにしか出来ないことなんだよ。」


みんなが好きなサッカーを媒体として、生きる上で絶対に学ばなきゃいけないことを教育していく。
「暴力の排除、和平・平和の訴え、病気への対抗」
そんなどうしようもないような状況に対する、一筋の光がサッカーだとしたら・・・。


それに携わる自分も、知らないフリをするわけにはいかない。ジャーナリストとしても、ただのサッカー馬鹿としても、なんとか貢献できる活動をしていきたいと思っている。


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『ドイツW杯航海日誌』-目次へ-


テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

裏レポート【日本代表ドイツ戦】

「I walk in the stadium! So, let's take a cab with me!」
私はスタジアムで歩きますから、タクシーに一緒に乗ろう???
レバークーゼン駅で話しかけた美しい女性は、その外見とは裏腹にとんちんかんな答えを返してきた。


僕が他の街のスタジアムに行くときは、場所の下調べをせずに現地で人に聞いて行くことにしている。敢えてそうするのは現地の人と交流を持ちたいから、などというジャーナリストらしい理由ではない。正直に言おう。めんどくさいからだ。


レバークーゼンで行われた日本代表ドイツ戦の場合も同様だった。ところがこの日は少し勝手が違い、話しかけた女性から意味不明な回答をいただいてしまった。仕方がないので、
「OK!OK! Danke!」
とやり過ごして、地図を探して歩き出そうとした瞬間、
その女性はふたたび僕を呼びとめ、タクシーに乗れと促してきた。しかも、
「お金は私が払うから」と言う。


この時点でやっと僕は気付いた。
「I walk in the stadium」ではない。「I work in the stadium」だったのだ。
彼女は普段はケルンに住んでいて全く違う仕事をしており、今日はVIPサービスのヘルプでレバークーゼンに呼ばれてきたらしい。
ベタな聞き間違いに恥ずかしくなりながらも、運よくタクシーにタダ乗りできたことに感謝しながらスタジアムに向かう。


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スタジアムに着くとまだゲートも空いていないのに、ものすごい数の日本人がたむろしていた。国旗をマントのように背負う人、中にはきっちりコスプレをして参上し、狙いどおり(?)海外プレスの注目の的になっている人もいた。


プレス入り口に向かうと、予想以上に多くのテレビ・新聞記者が日本から来ていた。マスコミだけではない。実際に席に座ると、周りには北沢・武田・前園・福田といった懐かしい面々が次々とやってくる。どうやら、この試合の注目度は想像以上に高かったようだ。駅からタクシーをゴチになったVIPサービスの女性のように、別の街からヘルプに来なければならない事情にも納得だ。


記者席ではしばらくブラジル人記者と雑談を楽しんだ。日本の印象を聞くと、
「オーストラリアは当たりの激しいサッカーをするが、日本のサッカーはスピードが速い。おそらくオーストラリアには勝てるだろう。クロアチア戦は難しいだろうけどな。」
Jリーグにやってきた多くのブラジル人選手が語る通り、やはり海外の日本サッカーに対する印象は、「速い」に集約されるようだ。
Q「じゃあ、日本vsブラジル戦はどうだい?」
「コンフェデのことがあるからな。結果は分からないよ。それに日本にはジーコがいる。俺たちの世代は、選手としてのジーコを見ながら育ったんだ。ペレはブラジルの英雄だけど、俺たちのヒーローはジーコなんだ。」


そんな愛されたヒーローだけに、
日本代表監督就任後、この4年間でジーコの頭髪をずいぶん傷つけてしまったことに心が痛む。4年前はもう少しフサフサだったのに…。やはり解任劇などは相当なストレスだったのだろうか。


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さて、試合の方は2-2の引き分けに終わった。それはドイツにとって散々な内容だったのだが、にも関わらずバラックは余裕の表情でインタビューに答えていた。もしこれが日本だったら、インタビューを拒否して帰ってしまう選手が多発しそうなのだが…。単純にテクニックや戦術云々ではなく、海外の選手に学ぶべきことはたくさんあるのではないだろうか。そして下は日本の王様のコメントの一部。


Q「今日の試合で出来たことは何か?」
「見てのとおりです。」
Q「宮本選手と何か話していたようですが?」
「それは個人的なことなので、言う必要はありません。」


中田らしいなとクスッと笑えるこんな受け答えも、コメントを取ろうと躍起になっている新聞記者には全く笑えないものだったようだ。バスに乗り込もうとする選手を呼び止めてインタビューする記者たちも、なぜか中田が通りかかったときは声をかけるのに二の足を踏んでいる。そんなとき…
「ヒデ!」と声が飛んだ。
その声の方向を振り向くと、それは前園だった。中田と前園は笑いながら抱き合って、プライベートな話を楽しんでいた。僕はその姿を見て、「ヒデ~。ゾノ、行くか!」の日清ラ王を思い出してしまった。(なんて呑気なジャーナリストなんでしょ…)


そして帰り道、僕は観戦に来ていたドイツ人夫婦に道を聞き、そのまま試合の感想をしゃべりながら歩いていた。
「今日は2-2だったけど、日本はほとんど勝ったような気分じゃないのか? 3点目が入ってても不思議はなかったしな。」
その通り。日本にとって本当に良い試合ができた。教訓も含めて。
Q「途中、ノボトニーが出てきたよね。彼はあなたたちレバークーゼンの人間にとってヒーローかい?」
「ノーノー。シュナイダーだよ。彼はすごいテクニックを持つ選手だぜ。今日は右サイドバックで使われたけど、本来ディフェンスの選手じゃないよ。」
Q「なんでディフェンスで出たんだろうね?」
「分からないよ。監督がイカれてるからじゃないのか? バラックがレバークーゼンにいた頃は、バラックとシュナイダーの中盤が本当にすごかったんだぜ。たぶんW杯、ドイツは3敗するよ。そして新しい監督がやってくる。」


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シュナイダーと言えば、キャプテン翼に出てくるファイヤーショットを打つパワー型FWを思い出してしまうが、現実のシュナイダーは彼とは正反対に正確なキックを得意とするテクニシャンタイプだ。共通点は、ディフェンスには向かないという所だろうか。


それはさておき、やはりスタジアムで見るとダイレクトに面白さが伝わる。後半のドイツ人サポーターの神経質な反応も面白く、柳沢と高原が動き出しでドイツDFを翻弄していることがハッキリ分かり、またテレビの前では絶対に味わえない出会いや興奮がそこにはある。


「世界の友よ、ドイツへようこそ」

テーマ : FIFA World Cup
ジャンル : スポーツ

【ドイツW杯航海日誌 vol.2】 海賊ひでが見た日本代表-1-

2人の新人監督 『明と暗』
2006年W杯出場国の中で、ドイツ代表は最もチームとしての団結が強かった国の一つだ。開催国としてのモチベーションはもちろん、選手たちは監督のユルゲン・クリンスマンを非常に慕い、彼自身がカリスマとなってチームを作り上げた。
クリンスマンはスポーツフィジカルトレーニングに世界一の定評があるアメリカからトレーナーを雇い、ドイツ代表のトレーニングに取り入れていた。もちろんこれは、3位決定戦までの全ての試合を運動量と1vs1の強さを武器に戦い抜いてきた成果と無関係ではないだろう。


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「ダンケ(ありがとう)」
ドイツ代表の凱旋シーン。お気に入りの一枚。
もともとベルリンの壁の一部だったブランデンブルク門周辺には、西も東もないドイツの人々が集まって幸せな空気を作り出していた。イタリアには負けてしまったものの、最終戦の3位決定戦に勝つことによって創造されたこの空気は、不要不要と常にささやかれる3決を「なかなか悪くないじゃん」と思わせるのに充分なものだった。


クリンスマンに贈られた数え切れない「ありがとう」。
彼と同じように監督初挑戦となったジーコには、ほとんど与えられなかった言葉だ。さすがに感謝はないにしても、4年間で圧倒的に薄くなってしまった頭髪を見ると…個人的には「おつかれさま」ぐらいは言いたくなってしまう。


正解かどうかは別として、ジーコはビジョンを持った監督だった。
「日本プロ野球の伝統的なスタイルがそうであるように、日本スポーツ界には監督の指示を待つというような受動的な精神が根強い。常に監督の顔色を伺いながらプレーするというようなね。だが、サッカーは監督の指示を待って戦うスポーツではなく、個性をもって自主的に戦うものだ。」


このビジョンには大賛成だった。
スポーツに限らず、たしかに日本人にはそうした受動的な姿勢というのは強く根付いている。それが日本の発展の妨げる一つの要因になっているのは疑いようのない事実ではないだろうか。


監督は常に組織全体のバランスに気を配らなくてはならないが、サッカーのファクターはそれだけでは成り立たない。
「相手FWが今日は調子がいいのか、思ったよりも足が速い。裏を取られないようにケアしなければ」「相手サイドが攻撃に気を取られている。タイミング良く飛び出せば…」
こういった"個の駆け引き"は、ピッチレベルでしか体感・体現できないものであり、各々が「自主的に考えて動くプレーヤー」になることが必須である。ベンチの指示なんて待っている暇はないし、そこまで詳しく全ての状況を把握できる監督がいたらお目にかかりたいものだ。
ジーコが打ち出したビジョンは、日本がいずれ世界と肩を並べるためには必要不可欠なものであり、たとえ2006年W杯で結果が出なくても何らかの産物を残すだろうと思っていた。ところが…。


ジーコはビジョンを実行に移すための"手段の引き出し"が余りに少なかった。ただし、それ自体は仕方のないことである。経験のない新人監督であるジーコを選出したのは日本サッカー協会なのだから。
別に僕は、『きめ細かい戦術を選手に与えろ』とは言わない。自主的に選手が考えて動くチームを作るのならそれもいいだろう。しかし、それは国民性をひっくり返すようなものであり、簡単なことではない。


問題なのは、ジーコが指示待ち人間を自主的に動く人間に変えるための手段が「自由を与えること」で充分だと思っていたことなのだ。彼は日本代表選手たちを買いかぶっていたのである。そこには選手にも責任がある。


ジーコは、W杯敗退の要因として3つの事柄を挙げた。
1.プロ意識の欠如
2.成熟していない
3.フィジカルの弱さ


こんな基本的なことを終わってから言い出すことに若干の腹立たしさを感じるが、言っていることは正しいと思う。2.成熟についてはジーコにはどうしようもないことかもしれないが、3.フィジカルについては彼のミスに違いない。その問題に気付かなかったのか知っていて見過ごしたのかは分からない。しかし、"サッカー大国ドイツ"のクリンスマンが、フィジカルトレーニング大国家のアメリカからトレーナーを招聘して万全の準備を整えたことを考えれば、"サッカー後進国"を率いたジーコは余りに無策だったと言わざるを得ないだろう。


海賊ひで的にジーコジャパンを一言で表すならば、
「ビジョンは立派。でもそこにたどり着く中身がない。」


う~ん。こう書いてみると、ジーコと某総理大臣ってそっくり(笑)


『ドイツW杯航海日誌』-目次へ-

【ドイツW杯航海日誌 vol.3】 海賊ひでが見た日本代表-2-

ジーコは、W杯敗退の要因に3つの事柄を挙げた。
1.プロ意識の欠如
2.成熟していない
3.フィジカルの弱さ


海賊ひでがここで最も注目したいのが、
1.「プロ意識の欠如」である。


日本代表キャンプ地であるボンへ練習を見学に行った人なら知っているかもしれないが、練習は非常に和気あいあいとした雰囲気だった。ウォーミングアップや練習後に、同じクラブ同士・ワールドユース仲間などで固まり、常に同じメンバーの仲良しグループが出来ていた。(ちなみに中田はいつも一人ぼっち)


なんというか、さながらドイツに修学旅行に来た高校生のようだった。
とてもジーコが掲げた「日本代表ベスト4」という共通目的に対し、ベクトルを一つにしたプロ集団には見えなかった。


そんな意識の違いはさまざまなところに現れてくる。
例えばW杯に行われた日本vsドイツのテストマッチだ。結果は2-2の引き分けだったが、この試合の日本代表は「もしかしたら結構イケるんじゃないか」と期待させるほどのパフォーマンスを発揮し、ドイツは「もしかしたらグループリーグ敗退じゃないか」と落胆させるほどのプレーをしてしまった。
この試合をスタンドで観戦していたサポーターも、惜しみない拍手を我らが代表選手に送りたかったことだろう。しかし、彼らはスタンド挨拶には来なかった。そしてなぜか内容の悪かったドイツ代表が、全員揃ってスタンドに挨拶に出向いているではないか。


人に聞いたところによれば、マルタ戦・ボスニアヘルツェゴビナ戦でも同様だったと言う。彼らは遠路はるばる多大なお金を費やしてやってきたサポーターに、「ありがとう」も言うことが出来ないのだろうか。自分たちがサッカーをしてお金をもらえるのは多くのサポーターやファンが支えてくれているからであり、ファンが少ないアマチュアスポーツにはない幸せを噛みしめていることを、まるで自覚していないのではないだろうか。


スタンド挨拶の件だけではない。マスコミへの取材対応もバラックを始めとしたドイツ代表は、試合が悪かったにも関わらず非常に紳士的だった。これを「プロ意識の違い」と呼ぶのではないだろうか。
(ただし一部、駒野のように背筋をピンッと張ってインタビューに答える、心あたたまる選手がいたことを付け加えておく)


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それでもW杯本戦ではさすがにスタンド挨拶にやってきた。ただし7~8人である。この際、200歩ほど譲ってスタンド挨拶に来ないことには目をつぶろう。もしかしたらサポーターに対する不信感など、そこには個々の想いがあるのかもしれない。


だが、「同じチームにあいさつに来る選手と来ない選手がいる」とは一体どういうことだろうか。誰かが一声かけて連れてくればすむことだろうに。
修学旅行に来たかのような烏合の衆であったこと、
チームは既にバラバラであったこと、
同じ目的のために団結できる大人のチームではなかったことなど、
あらゆることがそのシーンに凝縮されてしまった。僕は全ての試合を観戦したわけではないが、こんな醜態をさらしたチームは日本ぐらいのものだった。


そんな意識の低い子供たちが、世界中からプライドをかけて集まった強豪とのサバイバルに生き残れるはずがない。




ところで話は飛ぶが、2002年W杯日本代表の模様を収録した「6月の勝利の歌を忘れない」は僕のお気に入りのDVDだ。ロッカールームにもカメラが入り、日本代表の素顔が垣間見えるドキュメンタリーが多くのサッカーファンの感動を呼んだ。
しかし今回、ジーコジャパンのロッカールームにはカメラが入れなかったらしい。その理由は想像になってしまうが、、、あまり絵にはならない雰囲気だったのではないだろうか。トルシエが許可したことを、ジーコが拒否するとはなんとなく考えにくい。


今にして思えば、あの日本代表DVDの雰囲気は中山雅史がいてこそ成り立つものだったように思う。底抜けに明るいキャラでプールにも率先してダイブした。かと思えば、試合に出なかったサブ組で行われるフィジカルトレーニングで先頭を切って全員を引っ張っていく。中山が日本代表に、明るさと厳しさの両方を与えていたのは明白だった。


しかし、ジーコジャパンには中山のような存在はいなかった。代表メンバーが24歳~30歳という狭い年齢幅の中で、居心地が良いだけの鎖国空間を作ってしまっていたように思う。


脂の乗った世代はたしかに戦いの中心となるだろう。しかしチームのポテンシャルを引き出すには、メインの存在だけでは成り立たない。
自分の背中を虎視眈々と狙ってくる若手に対して危機感をつのらせ、高いプロ意識と存在感を誇るベテランに畏敬の念を抱く。
世代をバランスよく配置することは、ジェネレーションギャップによる『よそよそしさと緊張感』をもたらすことでもあるのだ。


そんなメンタル面への味付けも、ジーコジャパンに足りなかったものではないかと僕は考えている。

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【ドイツW杯航海日誌 vol.4】 海賊ひでが見た日本代表-3-

今、日本は谷間の時代を歩いている


ジーコジャパンを見てきた多くの人たちはこう思っているのではないだろうか?
「ドーハやフランスW杯のときと比べると、今の代表には覇気がない。泥臭さや必死さが伝わってこない。」


確かに今の日本代表は昔よりも優れた技術を持った選手が多いが、メンタル的な面において、見ている人にも感じられるほどの気迫という意味では物足りなさを感じてしまう。


この違いはどこから生まれたのだろうか? 
選手の育った環境を思いえがき、海賊ひでなりに考えてみた。


思い起こせば日本に初めてのプロサッカーリーグ「Jリーグ」が生まれたのは1993年のこと。そして「ドーハの悲劇」があったのも1993年である。


プロ創設と共に歩んだドーハ・フランスW杯世代
ドーハ世代・フランスW杯世代の一部の選手は、もともと社会人クラブ、つまりアマチュアでやっていた選手たちだ。サッカー以外に仕事を持ち、日本がW杯に出場できるなんてことを遠い夢のように感じていた世代である。
それだけに、『プロとしてサッカーが出来る喜び』を誰よりも強く感じていたのは想像に難しくない。彼らをはその想いをがむしゃらにサッカーに反映させ、泥臭さ・ハングリーさを生み出していたのだろう。




では、プロ創設の時代を歩んできたドーハ世代とは逆に、遥か100年以上も昔からサッカーの歴史を紡いできた欧州や南米などの強国はどうだろうか?


勝つことが当たり前の環境で育った強国の選手
生まれたときからサッカーが側にあり、W杯に出場するのは当たり前、もしも出場できなければ大騒動、少年時代からプロサッカー選手の背中を追いかけて育つのが欧州や南米の選手たちだ。「サッカーで他の国に負けること」がどれほど自分たちのプライドを傷付けることか、また国民を落胆させることなのか、彼らは自らの体験で知っているのだ。




さて、では今回のジーコジャパン世代はというと・・・


『プロ』という存在に実感を見出せない谷間の世代
日本にJリーグが出来た1993年、ジーコジャパンの中心世代は、中学生もしくは高校生だった。ひとつのアマチュアスポーツに過ぎなかったサッカーが、突然野球と肩を並べるプロスポーツへと変化した。
サッカーを続けていこうか悩むモラトリアムの時期に、彼らの目の前に忽然と現れたプロという選択肢。彼らはその流れに乗ってプロ選手になることを選んだ。
もちろん相当の努力があって成し遂げたことではあるが、アマチュアで仕事と両立をする苦労を背負うことなくプロの世界に入れた彼らは、非常に幸運だったといえる。
しかし、棚からぼた餅的にプロという道を手に入れた彼らにとってプロ意識の実感は、ドーハ世代に比べれば薄かったのではないか。


さらに、上記の欧州のような「サッカーが当たり前に根付いた環境」で育ったわけでもない。むしろプロ野球という巨大スポーツの影に隠れたマイナースポーツとして育ってきている。急激に育ったサッカーの存在感には、青春時代にあった彼らの認識力が追いつかなかったのではないだろうか。


プロができた喜びを噛みしめる新人でもない。
サッカーは勝って当たり前、というベテラン環境で育ったわけでもない。
その姿はさながら、プロサッカーという会社に入社して3,4年目の社会人のごとく、目標やモチベーションをどう設定していいか迷ってしまっている状態に思えてくる。


長い長い日本サッカーという流れの中で見ると、今の世代の選手たちはまさに歴史の谷間を歩いているのではないだろうか。ジーコが指摘する『プロ意識の欠如』の背景には、日本サッカーの思春期とも言うべき時代があるのだ。



だからこそ、それを変えていくには海外への挑戦などを含め、今までの自分が置かれていた環境をガラッと変えてサッカーに取り組むことが重要になってくると思う。


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