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ブラジルにいます。

コンフェデレーションズカップ2013の取材中です。
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【ドイツW杯航海日誌 vol.6】 俺にとって「サッカーとは?」

サッカー選手の名前を覚えるのなんてめんどくさい。
サッカーは見るよりプレーするもんだろ。見てて何が楽しいの?
サポーターって、なんで応援なんかしてるんだろう。
サッカーの経済効果? そんなの興味ないよ。


以前の俺はそんな感じだった。
自分がプレーするピッチ以外にまるっきり興味がなかった。
でも今はちょっと違う。
サッカーという競技が見せる奥深さと可能性の中で、
「自分も何か出来ないだろうか、人に影響を与え動かすことは出来ないだろうか」 という気持ちがフツフツと湧いている。
下のイベント運営に関わったのは、まさにそんな人間ばかりだった。


P1070021.jpg



ストリートサッカーW杯とは?


7/1~7/8、ちょうどドイツW杯決勝トーナメントの真っ最中、ベルリンの東地区クロイツベルクにて「ストリートサッカーW杯」が行われた。
(この取材レポートはStarSoccer9月号にて書かせて頂いたので、よろしければご参照の程を。…ってもうバックナンバーしかないでしょうけど)


ストリートサッカーというと、貧しい子供が路上に出て、裸足でボールを蹴りあっているような姿が目に浮かび、ロナウジーニョもそういう環境で育ったのかなと連想させる。そう、ちょうど下の写真のような感じだ。


foto_kolumbien.jpg



しかし、ここでの「ストリートサッカー」はもう少し広義である。
道具やコートがないから、仕方なく路上でプレーするというイメージをまずは取り払っていただきたい。
そして、この写真を見て欲しい。


P1060122.jpg



これは、ストリートサッカーW杯参加チームのひとつ、
「和平と平和を訴える、イスラエル・パレスチナ混合チーム」の試合前の様子である。いつ何が起きてもおかしくない緊張、終わりの見えない紛争が続いている両国。そんな状況を思えば、その2つの国旗をたばねて振りかざしていることがどんな大きな意味を持つか、容易に想像がつくだろう。


彼らは普段はイスラエルにあるスポーツクラブで練習を共にしており、紛れもないイスラエル・パレスチナの現地混合チームである。昨年にはFCバルセロナとサッカーの練習試合を行い、イスラエルとパレスチナに和平の未来があることを全世界に示すことに成功した。


ええっ?これがストリートサッカー? と思った方もいるかもしれないが、これが現代のストリートサッカーなのである。
「ストリートサッカー=貧しい、裸足」といったイメージは昔のもので、今は「ストリートサッカー=世界最高のコミュニケーション法」として捉えられているのである。


P1050599.jpg



そもそもストリートサッカープロジェクトが立ち上がったきっかけは、誰もが記憶に残っている1994年、アメリカW杯の事件だった。コロンビア代表のエスコバルは、グループリーグ戦でオウンゴールのミスを犯し、その結果コロンビアはW杯から姿を消してしまった。それに腹を立てた人間が、なんとエスコバルをレストランに押し入って射殺してしまったのである。当時、エスコバルの体には10発以上の弾痕が残っていたという。


「なんでサッカーで人が死ななきゃいけないんだ・・・。」
1994年当時、そう思ったのは俺だけじゃなかった。
その痛ましい事件の起きたコロンビアの大学が発起人となり、「暴力に対抗する手段としてのサッカー」、さらには世界中のあらゆる紛争を解決する手段としてのサッカーを広めていった。上記のイスラエル・パレスチナ混合チームもその一つである。


また俺は大会中、コードサイドでアナウンサーを務めていた人物と会うことが出来た。彼はナイジェリアチームを率いる代表でもあった。しかし選手たちにビザが発給されずチームの出場を断念した彼は、ナイジェリアがこの大会に参加できなかったことを本当に残念がっていた。


20061024013226.jpg



「今、ナイジェリア国内ではエイズが猛威をふるっている。政府でさえもどれだけ患者がいるかも全く把握できていない。予防策を指示することも出来ずに、人が死んでいくのを見ていることしかできないんだ。」


そして彼は続ける。
「そんな状況で、ナイジェリアが何かに期待できるのは、サッカーしかないんだ。スタジアムではハーフタイム中にエイズの知識を教えるキャンペーンをしている。サッカーチームでも技術を教えると共に、エイズに対する教育も行っているんだ。これは世界中で人々に愛されているスポーツ、サッカーにしか出来ないことなんだよ。」


みんなが好きなサッカーを媒体として、生きる上で絶対に学ばなきゃいけないことを教育していく。
「暴力の排除、和平・平和の訴え、病気への対抗」
そんなどうしようもないような状況に対する、一筋の光がサッカーだとしたら・・・。


それに携わる自分も、知らないフリをするわけにはいかない。ジャーナリストとしても、ただのサッカー馬鹿としても、なんとか貢献できる活動をしていきたいと思っている。


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『ドイツW杯航海日誌』-目次へ-


テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

【ドイツW杯航海日誌 vol.2】 海賊ひでが見た日本代表-1-

2人の新人監督 『明と暗』
2006年W杯出場国の中で、ドイツ代表は最もチームとしての団結が強かった国の一つだ。開催国としてのモチベーションはもちろん、選手たちは監督のユルゲン・クリンスマンを非常に慕い、彼自身がカリスマとなってチームを作り上げた。
クリンスマンはスポーツフィジカルトレーニングに世界一の定評があるアメリカからトレーナーを雇い、ドイツ代表のトレーニングに取り入れていた。もちろんこれは、3位決定戦までの全ての試合を運動量と1vs1の強さを武器に戦い抜いてきた成果と無関係ではないだろう。


20060802070916.jpg


「ダンケ(ありがとう)」
ドイツ代表の凱旋シーン。お気に入りの一枚。
もともとベルリンの壁の一部だったブランデンブルク門周辺には、西も東もないドイツの人々が集まって幸せな空気を作り出していた。イタリアには負けてしまったものの、最終戦の3位決定戦に勝つことによって創造されたこの空気は、不要不要と常にささやかれる3決を「なかなか悪くないじゃん」と思わせるのに充分なものだった。


クリンスマンに贈られた数え切れない「ありがとう」。
彼と同じように監督初挑戦となったジーコには、ほとんど与えられなかった言葉だ。さすがに感謝はないにしても、4年間で圧倒的に薄くなってしまった頭髪を見ると…個人的には「おつかれさま」ぐらいは言いたくなってしまう。


正解かどうかは別として、ジーコはビジョンを持った監督だった。
「日本プロ野球の伝統的なスタイルがそうであるように、日本スポーツ界には監督の指示を待つというような受動的な精神が根強い。常に監督の顔色を伺いながらプレーするというようなね。だが、サッカーは監督の指示を待って戦うスポーツではなく、個性をもって自主的に戦うものだ。」


このビジョンには大賛成だった。
スポーツに限らず、たしかに日本人にはそうした受動的な姿勢というのは強く根付いている。それが日本の発展の妨げる一つの要因になっているのは疑いようのない事実ではないだろうか。


監督は常に組織全体のバランスに気を配らなくてはならないが、サッカーのファクターはそれだけでは成り立たない。
「相手FWが今日は調子がいいのか、思ったよりも足が速い。裏を取られないようにケアしなければ」「相手サイドが攻撃に気を取られている。タイミング良く飛び出せば…」
こういった"個の駆け引き"は、ピッチレベルでしか体感・体現できないものであり、各々が「自主的に考えて動くプレーヤー」になることが必須である。ベンチの指示なんて待っている暇はないし、そこまで詳しく全ての状況を把握できる監督がいたらお目にかかりたいものだ。
ジーコが打ち出したビジョンは、日本がいずれ世界と肩を並べるためには必要不可欠なものであり、たとえ2006年W杯で結果が出なくても何らかの産物を残すだろうと思っていた。ところが…。


ジーコはビジョンを実行に移すための"手段の引き出し"が余りに少なかった。ただし、それ自体は仕方のないことである。経験のない新人監督であるジーコを選出したのは日本サッカー協会なのだから。
別に僕は、『きめ細かい戦術を選手に与えろ』とは言わない。自主的に選手が考えて動くチームを作るのならそれもいいだろう。しかし、それは国民性をひっくり返すようなものであり、簡単なことではない。


問題なのは、ジーコが指示待ち人間を自主的に動く人間に変えるための手段が「自由を与えること」で充分だと思っていたことなのだ。彼は日本代表選手たちを買いかぶっていたのである。そこには選手にも責任がある。


ジーコは、W杯敗退の要因として3つの事柄を挙げた。
1.プロ意識の欠如
2.成熟していない
3.フィジカルの弱さ


こんな基本的なことを終わってから言い出すことに若干の腹立たしさを感じるが、言っていることは正しいと思う。2.成熟についてはジーコにはどうしようもないことかもしれないが、3.フィジカルについては彼のミスに違いない。その問題に気付かなかったのか知っていて見過ごしたのかは分からない。しかし、"サッカー大国ドイツ"のクリンスマンが、フィジカルトレーニング大国家のアメリカからトレーナーを招聘して万全の準備を整えたことを考えれば、"サッカー後進国"を率いたジーコは余りに無策だったと言わざるを得ないだろう。


海賊ひで的にジーコジャパンを一言で表すならば、
「ビジョンは立派。でもそこにたどり着く中身がない。」


う~ん。こう書いてみると、ジーコと某総理大臣ってそっくり(笑)


『ドイツW杯航海日誌』-目次へ-

【ドイツW杯航海日誌 vol.3】 海賊ひでが見た日本代表-2-

ジーコは、W杯敗退の要因に3つの事柄を挙げた。
1.プロ意識の欠如
2.成熟していない
3.フィジカルの弱さ


海賊ひでがここで最も注目したいのが、
1.「プロ意識の欠如」である。


日本代表キャンプ地であるボンへ練習を見学に行った人なら知っているかもしれないが、練習は非常に和気あいあいとした雰囲気だった。ウォーミングアップや練習後に、同じクラブ同士・ワールドユース仲間などで固まり、常に同じメンバーの仲良しグループが出来ていた。(ちなみに中田はいつも一人ぼっち)


なんというか、さながらドイツに修学旅行に来た高校生のようだった。
とてもジーコが掲げた「日本代表ベスト4」という共通目的に対し、ベクトルを一つにしたプロ集団には見えなかった。


そんな意識の違いはさまざまなところに現れてくる。
例えばW杯に行われた日本vsドイツのテストマッチだ。結果は2-2の引き分けだったが、この試合の日本代表は「もしかしたら結構イケるんじゃないか」と期待させるほどのパフォーマンスを発揮し、ドイツは「もしかしたらグループリーグ敗退じゃないか」と落胆させるほどのプレーをしてしまった。
この試合をスタンドで観戦していたサポーターも、惜しみない拍手を我らが代表選手に送りたかったことだろう。しかし、彼らはスタンド挨拶には来なかった。そしてなぜか内容の悪かったドイツ代表が、全員揃ってスタンドに挨拶に出向いているではないか。


人に聞いたところによれば、マルタ戦・ボスニアヘルツェゴビナ戦でも同様だったと言う。彼らは遠路はるばる多大なお金を費やしてやってきたサポーターに、「ありがとう」も言うことが出来ないのだろうか。自分たちがサッカーをしてお金をもらえるのは多くのサポーターやファンが支えてくれているからであり、ファンが少ないアマチュアスポーツにはない幸せを噛みしめていることを、まるで自覚していないのではないだろうか。


スタンド挨拶の件だけではない。マスコミへの取材対応もバラックを始めとしたドイツ代表は、試合が悪かったにも関わらず非常に紳士的だった。これを「プロ意識の違い」と呼ぶのではないだろうか。
(ただし一部、駒野のように背筋をピンッと張ってインタビューに答える、心あたたまる選手がいたことを付け加えておく)


20060805074116.jpg



それでもW杯本戦ではさすがにスタンド挨拶にやってきた。ただし7~8人である。この際、200歩ほど譲ってスタンド挨拶に来ないことには目をつぶろう。もしかしたらサポーターに対する不信感など、そこには個々の想いがあるのかもしれない。


だが、「同じチームにあいさつに来る選手と来ない選手がいる」とは一体どういうことだろうか。誰かが一声かけて連れてくればすむことだろうに。
修学旅行に来たかのような烏合の衆であったこと、
チームは既にバラバラであったこと、
同じ目的のために団結できる大人のチームではなかったことなど、
あらゆることがそのシーンに凝縮されてしまった。僕は全ての試合を観戦したわけではないが、こんな醜態をさらしたチームは日本ぐらいのものだった。


そんな意識の低い子供たちが、世界中からプライドをかけて集まった強豪とのサバイバルに生き残れるはずがない。




ところで話は飛ぶが、2002年W杯日本代表の模様を収録した「6月の勝利の歌を忘れない」は僕のお気に入りのDVDだ。ロッカールームにもカメラが入り、日本代表の素顔が垣間見えるドキュメンタリーが多くのサッカーファンの感動を呼んだ。
しかし今回、ジーコジャパンのロッカールームにはカメラが入れなかったらしい。その理由は想像になってしまうが、、、あまり絵にはならない雰囲気だったのではないだろうか。トルシエが許可したことを、ジーコが拒否するとはなんとなく考えにくい。


今にして思えば、あの日本代表DVDの雰囲気は中山雅史がいてこそ成り立つものだったように思う。底抜けに明るいキャラでプールにも率先してダイブした。かと思えば、試合に出なかったサブ組で行われるフィジカルトレーニングで先頭を切って全員を引っ張っていく。中山が日本代表に、明るさと厳しさの両方を与えていたのは明白だった。


しかし、ジーコジャパンには中山のような存在はいなかった。代表メンバーが24歳~30歳という狭い年齢幅の中で、居心地が良いだけの鎖国空間を作ってしまっていたように思う。


脂の乗った世代はたしかに戦いの中心となるだろう。しかしチームのポテンシャルを引き出すには、メインの存在だけでは成り立たない。
自分の背中を虎視眈々と狙ってくる若手に対して危機感をつのらせ、高いプロ意識と存在感を誇るベテランに畏敬の念を抱く。
世代をバランスよく配置することは、ジェネレーションギャップによる『よそよそしさと緊張感』をもたらすことでもあるのだ。


そんなメンタル面への味付けも、ジーコジャパンに足りなかったものではないかと僕は考えている。

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【ドイツW杯航海日誌 vol.4】 海賊ひでが見た日本代表-3-

今、日本は谷間の時代を歩いている


ジーコジャパンを見てきた多くの人たちはこう思っているのではないだろうか?
「ドーハやフランスW杯のときと比べると、今の代表には覇気がない。泥臭さや必死さが伝わってこない。」


確かに今の日本代表は昔よりも優れた技術を持った選手が多いが、メンタル的な面において、見ている人にも感じられるほどの気迫という意味では物足りなさを感じてしまう。


この違いはどこから生まれたのだろうか? 
選手の育った環境を思いえがき、海賊ひでなりに考えてみた。


思い起こせば日本に初めてのプロサッカーリーグ「Jリーグ」が生まれたのは1993年のこと。そして「ドーハの悲劇」があったのも1993年である。


プロ創設と共に歩んだドーハ・フランスW杯世代
ドーハ世代・フランスW杯世代の一部の選手は、もともと社会人クラブ、つまりアマチュアでやっていた選手たちだ。サッカー以外に仕事を持ち、日本がW杯に出場できるなんてことを遠い夢のように感じていた世代である。
それだけに、『プロとしてサッカーが出来る喜び』を誰よりも強く感じていたのは想像に難しくない。彼らをはその想いをがむしゃらにサッカーに反映させ、泥臭さ・ハングリーさを生み出していたのだろう。




では、プロ創設の時代を歩んできたドーハ世代とは逆に、遥か100年以上も昔からサッカーの歴史を紡いできた欧州や南米などの強国はどうだろうか?


勝つことが当たり前の環境で育った強国の選手
生まれたときからサッカーが側にあり、W杯に出場するのは当たり前、もしも出場できなければ大騒動、少年時代からプロサッカー選手の背中を追いかけて育つのが欧州や南米の選手たちだ。「サッカーで他の国に負けること」がどれほど自分たちのプライドを傷付けることか、また国民を落胆させることなのか、彼らは自らの体験で知っているのだ。




さて、では今回のジーコジャパン世代はというと・・・


『プロ』という存在に実感を見出せない谷間の世代
日本にJリーグが出来た1993年、ジーコジャパンの中心世代は、中学生もしくは高校生だった。ひとつのアマチュアスポーツに過ぎなかったサッカーが、突然野球と肩を並べるプロスポーツへと変化した。
サッカーを続けていこうか悩むモラトリアムの時期に、彼らの目の前に忽然と現れたプロという選択肢。彼らはその流れに乗ってプロ選手になることを選んだ。
もちろん相当の努力があって成し遂げたことではあるが、アマチュアで仕事と両立をする苦労を背負うことなくプロの世界に入れた彼らは、非常に幸運だったといえる。
しかし、棚からぼた餅的にプロという道を手に入れた彼らにとってプロ意識の実感は、ドーハ世代に比べれば薄かったのではないか。


さらに、上記の欧州のような「サッカーが当たり前に根付いた環境」で育ったわけでもない。むしろプロ野球という巨大スポーツの影に隠れたマイナースポーツとして育ってきている。急激に育ったサッカーの存在感には、青春時代にあった彼らの認識力が追いつかなかったのではないだろうか。


プロができた喜びを噛みしめる新人でもない。
サッカーは勝って当たり前、というベテラン環境で育ったわけでもない。
その姿はさながら、プロサッカーという会社に入社して3,4年目の社会人のごとく、目標やモチベーションをどう設定していいか迷ってしまっている状態に思えてくる。


長い長い日本サッカーという流れの中で見ると、今の世代の選手たちはまさに歴史の谷間を歩いているのではないだろうか。ジーコが指摘する『プロ意識の欠如』の背景には、日本サッカーの思春期とも言うべき時代があるのだ。



だからこそ、それを変えていくには海外への挑戦などを含め、今までの自分が置かれていた環境をガラッと変えてサッカーに取り組むことが重要になってくると思う。


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